昭和四十六年 六月二十七日 朝の御理解

x御理解第二十六節 信心に連れは要らぬ、ひとり信心せよ。信心に連れが入れば死ぬるにも連れが要ろうが、皆逃げておるぞ。日に日に生きるが信心なり。


 大変難しい御理解ですね。「信心に連れは要らぬ、ひとり信心せよ」ということと「死ぬるにも連れが要ろうが」というような表現なんです。大変な深い意味だと思うですね。信心は死ぬるということと、信心いわゆる神参りと信心ということと。同じ例えでもこのような深い意味においての例はないと思うくらいですね。人間にはそういう同志嘆きというですかね、この自分が一人死ねばよいのに、一人で死ぬのは淋しい。例えばあの無理心中なんかそうですね。人間の心にはそういうものがあるんです。だから、そういうような心の底の底にあるような心を取り除くということ、信心とは。
 信心とは、ひとり信心せよと。人が言うから、誘われたから、あの人も参るならば、自分も参ろう。もうあの人も参らんごとなったから、私も参るまいといったような、手前のそういったような心理状態というか、それを例えばギリギリの死ぬることに例えたところに、「死ぬるにも連れが要ろうが」というような言わばギリギリの表現をなさっておられますね。
 人間の心の中にはそんなものがある。一人淋しく死んで行くのは馬鹿らしい、だれか連れて行かにゃといったようなね、そういうものが人間の心にあるということ。あんたが参るなら私も参ろうと、あんたが死ぬなら私も死のうと、そこに死ぬことの決心が出来た。それが心中なんかのことだと思う。
 あん時に、「いいえ私は死なん」と言うとったら、結局死なんで済むかも知れませんね。一人死ぬのは馬鹿らしい、そういうギリギリの所を例えに教えておられるんですが、そういう心が人間の心の中にあるということをです、最後に、信心とは、日に日に生きることが信心なりというふうにですね、斬新な表現を以て教えておられる。
 日に日に生きるということはどういうことであろうか。
 もう椛目の時代、昔ですね。久富繁雄さんの奥さんの日佐子さんがいつも朝の御祈念、夜の御祈念に参ってみえよりました。島浦から元の筑後川を渡ってみえよりました。するともう土居というところはすぐそこなんです。築後川ひとつ渡るともう土居なんです。
 それを例えば鎮西橋を渡ってくると、善導寺へ出たり、勿体島へ出たりしてこう回ってこねばならん。けれども筑後川を渡って、島を渡ってきますとですね、もう言うならすぐそこなんです。話を聞きますと、あの人は非常に臆病だったそうです。もう夜さる一人で便所に行くとが恐いごたる私だったと。ところが心に一つ定めて、心に一心を定めて、やはり一生懸命でお参りしてくる時に、土居から畑の中の淋しいところを通ってこんならん。そしてあの筑後川を渡る時の何かというものは、それはもう大変に、それこそ昼でも恐いような感じのところです。
 r今時はあの川を使う人は誰もおりません。特にあの島の村と椛目までのつながりというところには、私だん子供の時にや、それこそ誰か連れがなからなければ通りきらんようなですね、蘭塔、蘭塔と言って墓場が二所もあるのです。島と川の間にでも、で、そこは一生懸命走って通りよった、子供の時分には。
 そういう淋しい所をです、お参りしてくるのに、もう恐いもなからなければ、神さま一心でお参りして、川がい満っておる時には、勿体島の提坊通りをずーっと参ってくる。川が渡られん時には、もうそれは両方が笹屋根でしたからね、竹屋根をこうやって押し上げて来なければ通られんごとあった。風が吹いたら、今の勿体島の辺は、今は何もないですけれども、両方に竹薮がずーっとありましてね、家は下の方にしかない、もうそれこそ竹を押し上げ押上して来んと来られんような所です。参ってくる。
 「私のような臆病な者が、例えば心を神様に一心に向うということになると、怖さもなければ恐ろしさもない」と言うて、あの当時は参ってみえとりました。久富日佐子さんです。
 私は、日に日に生きる信心とはそういうことじゃないでしょうかね。
 そういう生き方なんです。どこにどんな川があろうが、どんな淋しいところがあろうが、どんな竹薮があろうが、どんな墓の中を通り抜けて来んならんようなところがあろうがです、日に日に生きるのが信心というのは、これもまた人間の心の底にあるという、言わばそれを一心で、出して参りますと、もうそれこそ怖いものなしという心さえ生まれてくるのです。
 そういう一心がやはり貫かれて、それはああした自分の、ああした難渋な病気を助かられた。有難さいうものと、信心が少しづつ分かって行く喜びとか楽しみがです、久富日佐子さんをして、そういう一心を出させた。そういう生き方が私は日に日に生きるが信心。
 もう誰が参らんでも、誰が連れて行かんでも、歩いてですよね勿論私は島の川を渡ってこられる時、聞きよって「ようあんたあげんところを渡ってくるの」ち。もう歩いて渡って来よるから、どこが浅いか分かるわけです。もう、こう尻をひっからげち来にゃ濡るるちゅうごたる時もある。ザブザブその中を渡ってね、参って来よった。
 そういう一心というか、そういう元気な心というものがお互いの中にある。そういう生き方を生活の上に表すことが、日に日に生きるが信心だとこう思うんです。
 そこにはもう連れはいらないのです。「参ろうち思うよるが、あんたもいっちょ参らんの。えすかけんであんたもいっちょ来てくれんの....」ち。そう言ったものがない。そう言う一心が私は神様に通ずると思うですね。
 今日は、今日のその御理解とどういう風につながるか分かりませんけれども、お座敷という手も、まあ一間しかないと言ったような、まあお座敷である、寝室でもあると言ったような感じです。
 今の普通文化住宅というのはそう言う風じゃないでしょうかね。いわゆる床の間にも使や、片付けておきゃ、お客さんの言うなら応接間にでも使えるといったような、言うならお座敷にもなると言ったような、信心とはね。
 例えば自分の心の中を、場合によってはどんなに汚し、どんなに散らかしておるようなこともあるけれども、汚れた散らかったと思うたら直ぐ綺麗に、例えば布団を上げてお掃除をして、お花の一つも床の間に置いて、さあいつでもお客さんがみえても慌てんでもよいぞというようなことを、努め求めて行くことだと思うです。
 私はそう言うような心が、日に日に生きるが信心なりと、毎日同じ事ばかりじゃないと言うこと。一杯散らかっとる時もある。汚れとる時もある。けれどもそれをさっと片付けて、お掃除をして、花の一つも入れて、さあいつでもお客さんがあっても慌てんでよいというような生き方。
 自分の心の中に。心が汚れておる、心が乱れておる。そういう例えば状態の時にです、私はそう言う心の状態では、前に進まれない。
 心に腹立ちがあったり、いらいらしたり、心が様々のことで汚れたり致します。そう言う時にです、私は教祖様は思い替えと言うことを教えておられる。思い替え、思いを変えて行くのです。
 自分の心を、いわゆる部屋の中を掃除をすると、部屋の中が斬新になる。雰囲気が変わってしまう。それを例えば万年床を敷いておる様にしとったんではいけません。お客さんがみえた時には、慌てんならん。
 例えば教祖の神様が様々な時に、この思い替えと言っておられますね。お子さんがお二人病気をなさる。お一人が亡くなられた。神仏に縋られ、医者にもかけられたけれども、一人は亡くなられ、一人は助かられた時に、二人とも亡くなっておっても仕方のないところへ、神様のおかげで、一人は助かったとこう言う。亡くなったのは、私の信心の手落ちであり、信心の不調法がこういう結果になったのであって、お詫びをする以外にない。
 二人とも例えば死ぬところを、一人は助けて頂いてと思い替えておいでられる。例えば少し怪我をする。信心しよってから怪我どんしてから、そればってんほんなごつあ、死んどるごたるところをおかげでこの位の怪我で助かったと言うてお礼を言う生き方。そういう生き方を、思い替えをして行けとこう言われる。問題は、有難いとか、いつもお礼を言う心を作って行くことがおかげを頂いて行く 「こつ」なんですからね、実際は。
 だから、思えんでも、無理にでも思い替えをして行くという生き方があるのです。心の中を、有難いとか勿体ないとか、いつもすきーっとしているわけです。本なごと信心しよって、どうしてこげなことが起こったじゃろうかというて心の中にある時は、もう次のおかげ頂かんならんことが頂かれんごとなってしまう。
 けれども、大難を小難にお祭り替えを頂いて、有難いというような頂き方なんです。それを思い替えとこういう、その思い替えの信心からです、今合楽で言われておるところの、一切がおかげという頂き方、一切に御の字をつけて、これはもう神様の心を心憎いまでに把握したというか、知ったという人の生き方なんです。
 神様は決して人間が憎うて難儀というものを作られるのじゃない、熱いのも寒いのも、氏子可愛いばっかりなんだと、神愛の現れなのだと分かった時には、もう思い替えの必要はない。もう即その場で有難いということなんですから、その場でお礼が言える心なんですから。
 そういう心がです、私は、日に日に生きるが信心と言うて、この、生きるが信心という信心が身についてくる時にです、誰が参ろうが参るまいが、誰が信心を止めようが止めまいが、雨が降ろうが風が吹こうが、筑後川が今日はい満っとる時には、勿体島の提坊さへ、こう回ってくる。
 今日は筑後川渡ってこられる時には、それこそ桑畑の中を通って、淋しいところを通って、畑を通って。それが夏じゃない、冬でも渡って来よんなさったです。もう恐ろしいまでの一つの執念のようなものがあるんです。一生懸命の中には、そしていくつも墓所を通らんならん。島の村を通り抜けて椛目に参って来よんなさった。ああいう生き方が信心の上に表わされて、それがまた生活の上にも、そういう表れる生き方を、日に日に生きるが信心だというふうに、今日は聞いて頂いた。
 私は、今日は、教祖様の御理解というか、表現の素晴らしいことと同時に、もうそれは哲学とも言うけれども、哲学ということばでは表現できない。やはり超哲学と言わなければおれない程の深いものをいつもその内容にあるということを、いつも驚くのですけれども、今日の御理解を頂いとるとそれを感じます。
 人間の死ぬる生きるということを信心と二つ並べて表現しとられます。誰さん参ろうかという時にはね、死ぬる時にもね、人を連れて行きたいのと同じぞと、こう決め付けておられるわけです。
 だから、そういう恐ろしい心というか、そういう人間の誰もが持っている人間の心を脱皮する、脱却するためにです、久富日佐子さんの例じゃないですけど、信心にはそういう一心というものが出されなければならない、そういう生き方を、日に日に生きると教祖は表現しとられると思うのです。どうぞ。